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「仏教と量子力学の共通点」①

YouTube【真実の目】より

仏教と量子力学の共通点が示した、究極の「世界の真理」

 

仏教は紀元前六世紀頃、「釈迦」という人物によってインドで創始された宗教です。

崇拝の対象を持たないというのは、仏教が他の宗教と大きく異なるところです。

 

釈迦が教えを説き始めてから、数世紀を経て、仏教は世界中へと広がって多様な形態をとるようになり、現在はキリスト教とイスラム教に次ぐ、世界宗教に1つとなっています。

 

一方、物理学の分野の1つである量子力学は、この世界の基盤となっている原子、電子、光子などの「量子」の性質や挙動を研究する学問です。

 

この2つの分野は一見するとまったく関係がないように思えるかもしれません。

しかし、仏教と量子力学は、それぞれの手法や考え方を用いながらも「この世界の真の世界を探究する」という点で共通しています。

 

まったく異なるアプローチでこの世界を探求しているにもかかわらず、仏教と量子力学のは似たような世界観があるのです。

 

〈釈迦は何を悟ったのか?〉

紀元2世紀から5世紀にかけて書かれた『金剛般若経』は釈迦が生前に残した言葉を集めた経典の1つです。

 

現在、仏教は大きく分けて、上座部仏教、大乗仏教、チベット仏教の三つの主要な流派があります。今回語る仏教理論は大乗仏教の理論をメインとしています。

 

これは、この世界の「実相」つまり世界の真の姿や、仏教理論の「空」という概念について語った大乗仏教の有名な経典です。

 

この経典は「何が現実で何が幻か?」それは私たちにとって、何を意味するのか?

そして、人々は一見"現実"に見えるこの世界とどう向き合えばいいのか?

といった悩みを解決しようとするものです。

 

この経典によると、私たちが体験する周りの世界や現象は特定の条件や要因によって形作られています。例えば私たちの五感、感情、思考、文化、言語などが、ここでいう「特定の条件や要因」にあたります。

 

これらの「条件」や「要因」によって、私たちは世界をある特定の方法でしか見ることができず、それが私たちの現実となります。

 

しかし、このような制限付きの見方は、世界の本質を完全には捉えることができません。世界の本質とは私たちの普通の考え方や「良いか悪いか」「あるかないか」「自分か他人か」といった二者択一の思考には収まらないものです。

 

それは私たちが日常で体験する現実の表面を超えて、宇宙や生命のもっとも根源的な部分を指し示しています。

 

以上が経典の大まかな内容ですが、

要するに、私たちはこの世界で生きている限り、自分自身の経験や体験を現実として感じるしかありません。問題は、こういった"現実"が、もし本当の現実ではなく「幻」であったとしても、私たちはそれを本当のものとして、感じ取ってしまうことです。

 

つまり、私たちの周りの物事、出来事、全ての事象は、私たちが当たり前に信じてしまうほどにリアルですが、果たしてそれらが本当に現実なのかという疑問を、釈迦は提起したのです。

 

実は、現在物理学の父であるアインシュタインも、亡くなった友人の家族への手紙で、似たような考えを示しています。

「物理学者の私にとって、過去、現在、未来は幻に過ぎない」

 

ここまでの話から、釈迦が何を悟ったのか、少しだけ見えてきます。

 

端的にまとめれば、それは「世界の本質」もしくは「真の現実」とは一体何なのかという事です。

 

その悟りから生まれた仏教理論の説明によれば、人々は普段の考え方から得たものや五感で感じ取ったもの、そういった「幻」を、人生の最も重要なものだと勘違いしてしてしまっていると言います。そして、それこそが人々が悩みや苦しみを感じる根本的な原因です。

 

そこで仏教は真の現実とは何なのか、どのようにしてそれを認識するのか、という観点を中心に様々な理論を展開し、人々を苦しみから解放することを目指しました。

 

そして興味深いことに、これらの仏教理論の内容や考え方は、現在の量子力学と重なる部分が多くあります。

 

〈量子力学と仏教の類似点〉

量子力学が研究しているのはこの世界の基盤となっている「量子」です。

「量子」とは物事の最小の構成単位を指します。

自然界のあらゆるものはこれらの最小単位が無数に集まってできています。

 

例えば、物質の基本単位である、原子や電子、光を構成する1つ1つの光子、

それらは全て量子のカテゴリーに入ります。

量子力学はこれら量子の性質や挙動を研究する学問です。

 

しかし、100年くらい前に誕生した量子力学という学問は

他の分野と違って、研究が進めば進むほど、直感に反する不思議な発見が数多く出てきています。

 

これは現実世界に対する、人類の理解を崩していると言えます。

どういうことかというと、量子が存在しているマイクロスケールの世界、もしくは「量子世界」は私たちが普段生きているマクロスケールの世界とは、まったく異なる物理法則に従っているように感じられ、「量子世界」においては、時間や空間、因果関係などの通常の概念でさえ、通用しなくなるのです。

 

一方、仏教の世界観では、この世界には異なる現実の領域が存在し、それぞれが特有の側面を持っています。

 

例えば、仏教理論には「色界」「法界」という異なる領域が存在します。「色界」は我々が生きている、体験できる世界を指します。「法界」は究極の現実を指し、人間が生きている物理的世界の制約を超越した領域を表しています。

 

それ以外にも、他の領域が存在しますが、それらの領域の中心にあるのは「法界」です。仏教理論では「法界」はこの世界の究極の真理を表わす存在であり、物理的世界を超越した領域とされています。

 

ただし、「法界」は普通の手段をでは理解・認識しづらく、悟りを通じて得た特別な認識でしか理解できません。興味深いことに「色界」と「法界」の違いは、古典物理学の研究する世界と、量子力学の研究する世界の違いと非常に似ています。

 

色界=古典物理学

法界≒量子力学

つまり、「色界」はニュートンの運動法則や、その他の古典物理学の法則に従う世界と一致し、一方で「法界」は量子力学が研究している「量子世界」と一致するように感じられます。

 

 

【続く】②へ