YouTube【真実の目】より
仏教と量子力学の共通点が示した、究極の「世界の真理」
①より【続く】
ここからは仏教理論と量子力学の類似点を、具体的に見ていきたいと思います。
〈仏教から見る粒子と波動の二重性〉
先ほど、「量子世界」が我々の生きている普段の世界とは、全く違うものであることについてお話ししました。具体的にどのように違うのかは、まず挙げられるのは、物質を構成する原子や電子などの、量子の存在状態が非常に不可解な点です。
これらの量子は弾丸のような安定的な粒子の状態と、水の波のような不確定な状態を両方持っています。この状態のことを、量子力学では「粒子と波動の二重性」と言います。
しかし、奇妙なことに人間がこれらの量子を観測すると、量子は観測された、その瞬間に不確定な波動状態から、弾丸のような粒子の状態、つまり確定した状態に変わります。
そして、観測が終わると、量子はその瞬間にまた、波動の状態に戻ります。
量子のこの不思議な挙動は、観測されているかどうかによって自身の状態を変えるものであり、まるで量子が意識を持っているようにも思えます。
量子力学では量子が波動の状態から、粒子の状態に変わる過程を「収縮」と言います。
この「収縮」という現象を目の当たりにした物理学者たちは、
今までの科学が作り上げてきた世界観を覆すものだと、
頭を抱えることになってしまいました。
その理由として、これまでの科学の1つの根本的な考え方に、客観的な物事の性質は、
人間の主観を伴うどのような行為によっても、決して変わることがない、という大前提があったからです。
しかし「量子世界」では、人間の主観的な観測行為が、客観的な存在である量子の状態を変えることができてしまいます。
なぜ、「粒子と波動の二重性」と「収縮」という現象が存在しているのか、
その背後に隠されている根本的な原理は、現時点ではまだ解明されていません。
ここで注目すべきは量子の「収縮」が、人間の観測によって引き起こされているということは、この過程に人間の意思が関与していると考えられる点です。
そこで人間の意識に関して、仏教理論がどのように語っているのかを見てみると、「収縮」の過程と似たようなことが、仏教の観念としても語られているようです。
仏教理論において、人間の意識は「想」「行」「識」の3つの要素で構成されるとされており、これらは意識の働きを理解する重要な枠組みです。
「想」は人間が周りの世界をそのように認識し、理解するかというプロセスを指します。これには五感を通じて得られる情報の処理と解釈が含まれます。
この過程で、私たちの認識は、過去の経験や先入観によって影響を受けることもあります。ですので、「想」によって捉える現実は人それぞれであり、これは個人的な現実を解釈するプロセスです。
次に「行」というのは、心がどう形成されるか、つまり私たちの感情や思考、意志、行動パターンが形成される過程を指します。
この過程によって形成された心、すなわち個々の反応や行動が、また私たちの見る世界を作っていきます。
最後に「識」という要素が「意識」そのものを表しています。
では、この考え方が量子力学の「収縮」という過程と、どう似ているかを見てみましょう。
人間が何らかの観測手段を使って、量子の位置、運動量、スピン、もしくはエネルギー状態などの物理量を測定すると、これらの物理量が1つでも判明した瞬間、量子はその瞬間に波動の状態から粒子の状態に変わります。
つまり、私たちが何かを見たり測定したりすることで、その量子の状態、いわば、現実の一部を変えたとも言えます。
③へ【続く】