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「仏教と量子力学の共通点」④

YouTube【真実の目】より

仏教と量子力学の共通点が示した、究極の「世界の真理」

 

③より【続く】

 

具体的に考えを進めてみましょう。

 

「縁起」の概念で「量子もつれ」を解釈してみると、2つの片割れは「色界」の認識では、1億光年も離れて存在していますが、「法界」では、そのような物理的な距離はまったく関係なく、これらは「縁起」によって繋がれており、1つの存在のままになっています。

 

「色界」を見ている私たちにとっては、距離を無視した「不気味な遠隔作用」として、その現象が現れるのです。

 

さらに、先ほどの話にあった「法身」という概念も、量子もつれに関連しています。

「法身」は「真実の姿」として解釈されており、それは時間や空間、個々の意識の制約を超えた存在であり、すべての現象に遍在しているとされます。

 

この線で考えると、仏教の世界観が捉える「世界」は、本質的には1つの物、もしくは1つの全体として存在しています。

 

偶然にも、この考え方と同様に、量子もつれに対する解釈の1つとして、「宇宙は統一された1つの存在である」と主張する考えもあります。

 

ここまで上げた例の他にも、仏教の理論には、量子力学と共通する点が多くあります。

まったく異なるように思えるこれらの知的な営みは、それぞれ独自の方法で世界の真理を探求しており、不思議なことに、とてもよく似た結論に到達しています。

 

僕はこの一致は偶然ではないと思っています。

 

釈迦は悟りを通じて世界の本質を理解し、その時代の文明レベルに合わせて、当時の人々が理解できるような言葉や比喩を使って複雑な内容を伝えようとしました。

 

その結果、現代ではこれらは、宗教や哲学に分類されていますが、もし釈迦が現代に生きていて、今の文明レベルに合わせて、自身の理論を説明していたら、それはきっと科学的にも納得がいくものになるのかもしれません。

 

では、ただ「似ている」ということに留まらず、本当に仏教理論と量子力学が同じ結論にたどり着くとしたら、2つの分野が示唆する「世界の真相」とは一体どのようなものなのでしょうか?

 

ここからは仏教と量子力学の理論から世界の真相がどのように導き出されるのか、という僕なりの考えをお話ししていきたいと思います。

 

量子力学が示唆しているのは物事の本当の姿は、私たちの目に見えている姿や、頭の中で想像しているような姿とは異なるということです。

 

物質世界は量子から成り立っていますが、これらの量子は1つ1つの「物」の粒ではなく、様々な可能性を含んだ「波動」です。さらにこれらの「波動」はエネルギーとして生じているという可能性も近年の研究で示唆されています。

 

アインシュタインも「質量とエネルギーは同じものの異なる表現であり、これは一般的な考え方にはなじみにくい」と述べたことがあります。

 

一方、仏教理論によると、すべての現象はそれ自体に固有の実在を持つものではなく、「空」を基盤としたお互いに依存して存在するものです。

 

このように2つの分野は、世界の根本的な部分に対する考え方が非常に似ています。

では、もし物質が一般的に考えられているようなものではなく、実在しないものならば、物質世界はどのように生まれ、いかにして存在し続けているのでしょうか?

 

大乗仏教の学派のひとつである唯識は、私たちの見る物質世界は、ただ私たちの心が作りだしたものだと主張しています。

 

一方、大乗仏教の主流的な考え方としては、私たちが日常的に経験している現実の感覚や認識は実は正確ではない、あるいは不完全であるというものです。

 

実はこのような考え方は、量子力学の発見と非常に似ています。

量子力学分野で多くの実績を残した物理学者のジョン・ホイーラーは次のような言葉を残しています。

 

「現象は観測されるまでは本当の現象ではない」

この考え方にそって、ホイーラーは「参加型宇宙」という概念を提唱しました。

この理論によると、宇宙は単なる固有の存在だはなく、観測者の存在や行動によって形作られ、変化するものです。

 

私たちの観測や意識が宇宙の構造や進化に積極的に関与しており、これによって宇宙は観測者と一体型になった「参加型」の実在として立ち現れるということになります。

 

また、一部の物理学者は、人間の意識も量子という状態で存在しているのではないか、という仮説を提唱しています。

 

もし、本当にそうであるのなら、この世界の真相は次のようなものである可能性が考えられます。

 

まず、現実はいくつかの層から成り立っており、ある1つの層は、別の層の中に存在しています。これらの中で最も根本的なものは「意識」が存在している層であり、物質が存在している層は「意識」の層によって生まれています。

 

これはここまで紹介してきた仏教理論が語っていることの集約、もしくは結論にもなっているものです。

 

では、この結論は何らかの科学的な根拠を伴っているのでしょうか?

量子力学の視点から見れば、量子の波動という状態は、必ず「意識」に感知されることを必須の条件として、やっと粒子状態、すなわち具現化された状態に変わります。

 

そのため、「意識」の存在しない世界では、そこに具現化されたものは何ら存在しないということになります。これを拡大して考えると、意識が誕生・存在しなければ、宇宙も具現化された状態では存在しません。

 

つまり、宇宙は私たちが観察、体験しているからこそ存在することができ、もしくは私たちが観察・体験をするために、この宇宙は誕生したという理解もできるのです。

 

この意味で、仏教理論が主張している「物質が存在している層は、意識の層によって生まれている」という考え方は、科学的な知見と一致する説得力のある世界の見方だと言えます。

 

最後になりますが、量子力学は実験と観察に基づく経験的なアプローチを取り、宇宙が量子から成り立っていると考えています。

 

そこから得られた様々な結論は直感に反しているものの、現段階では最も宇宙に真実に近い学問だと評価されています。

 

一方、仏教は内省や瞑想を通じて、現実の本質について深く考察しています。

 

両者は異なるアプローチを取りながらも、驚くほどに同じな結論に到達しています。

これは、単に世界の真実が何かという疑問を提起し、議論しようとするだけのものではありません。

 

仏教が私たちに教えてくれるのは、科学的な手法は絶対のものではなく、内省や瞑想といった方法によっても、世界を理解することができるのだということです。

 

【終わり】